前編では、育て上げネットというNPOが社会的つながり乏しい若者へリソースの投下先を移行させながら、独自のメソッドをもって、社会関係資本を繋ぐ第三の道をつくってきたことが語られた。
とはいえ、決して誤解してほしくない。工藤啓は、高邁な理想を実現するカリスマ経営者では決してない。失礼ながら、どちらかといえば自ら好んで真逆に立つ脱力系だ。後編では、そうした選択や組織としてのあり方がなぜ可能になるのか?その源泉ともいえるエピソードが語られていく。
本人の問題か環境の問題か?—父親からの問いかけ
――工藤さん、お父様も若者支援の分野でお仕事をされていましたよね。それに対する距離が変わってきたのではと感じることがあるのですが、何か記憶に残っているエピソードのようなものはありますか?
生まれたときから、自閉症、知的障害の方とか、非行少年とかいろいろな人と一緒に暮らしていたんですよね。父親が共同生活型の青少年支援を手掛けていたという不思議な家庭でしたから。
小学校4年生か5年生の時かな。ガンダムのプラモデルをつくっていたんですが、それは自分としては大作で、そのコレクションを並べるわけですよ。それが、ある時、知的障害の子がコレクションを全部ぶっ壊してしまった。子どもだから自分も泣くじゃないですか。父親に「あいつが壊した!!!」と言いつけたら、「そこに置いたお前が悪い」って返ってきたんですよ。
「だって彼のこと知っているだろ?」と。「たまに癇癪起こすだろ?」「知ってるよ」「じゃ、なんで置いとくんだ?」と父親から言われて、「…そうですね」と頷くしかなかった。
そういう傾向がある人とわかっているのに、配慮せず置いておいたのは誰だろうという問いかけなんですよね。いまで言う「インクルーシブ」、つまり、障害を持つ本人ではなくて環境の側の問題であるという考え方だったわけです。
当時の僕としては納得できないこともあったと思うんですけど、結局一緒に生活をしているから理解が進む部分は大きかった。
朝ごはんも一緒に食べる。家族や兄弟と同じように、どっちかが家を出てくわけにもいかない。知的障害を持つ子供のいいところもいっぱい知っている。そして、しょんぼりしている僕に、俺のプラモデルやるよっていうお兄さんもいる。
いろんな人が一緒に生きていくって、たぶん、こういうことなんですよね。
工藤啓
特定非営利活動法人育て上げネット理事長、金沢工業大学客員教授、東洋大学非常勤講師
1977年、東京都生まれ。成城大学中退後、渡米。Bellevue Community Colleage卒業。「すべての若者が社会的所属を獲得し、働くと働き続けるを実現できる社会」を目指し、2004年NPO法人育て上げネット設立、現在に至る。内閣府、厚労省、文科省など委員歴任。著書に『NPOで働く』(東洋経済新報社)、『大卒だって無職になる』(エンターブレイン)など。

趣味、屁理屈、人生の意味
若者支援って、メソッドがあるというよりは、釣り好きな職員が仕事で釣りしたくて誘うみたいなところがあるんですよ。そこで屁理屈がたくさん捏ねられる。
人生にとって仕事にとって、釣りがいかに意味があるかを語る。でも要は釣りに行きたいだけかもしれない。自分の「好き」に仲間を募る感じです。そんなことがあちこちにあった。バンドマンだった人がバンドやりたいから、音楽活動で若者を元気にするとか言いながら、要はバンドやりたいだけだったりする。ただ、それが若者を励ましていた現実があった。
だから僕自身、「楽しいことって仕事になるよ」というのを率先してやるようにしています。フットサルしたり、マンガのレビューを書いたり。ミニ四駆を走らせたり、一緒にPUBGというゲームをやったり。もちろん、周りのわからない人からすると「ただ遊んでいるだけでしょ」で終わってしまうこともあります。
でも昔は遊びでやっていたものが、いまはプロゲーマーみたいな専門職ができているわけで、先のことはわからないですよね。実は当事者の彼はいま、プロゲーマーへの選択肢を模索しているのかもしれない。
PUBG JAPAN SERIES
コンピューターゲームなどの大会に出場して賞金や報酬を得るプロゲーマーという職業が2013年頃から登場している。PUBGというゲームには日本公式シリーズがある。
人生の余白を共につくっていくにはどうすればいいか?
メルカリにしろ、ココナラにしろ、ハンドメイド作品の販売のミンネにしろ、いまの子って、直感で触ってすぐわかってしまうようなところがあります。僕らの頃って、そういうのはなかったじゃないですか。若者支援と言いながら、若者たち、彼らの方がむしろ知っていることが多い場面が出てきている。
そのとき、いわゆる支援者と被支援者のタテの関係をヨコに崩さないといけない。教えてあげるよじゃなくて、一緒に遊ぼう、学ぼう、探そう、というヨコの関係が良い場合が多くなってきている。
これからの支援者に求められるのは、「働く」を起点に、このタテの関係を崩せること。支援者自身の学習能力、自分が変わっていく力が大事になってくると思っています。“釣り好き”みたいな余白がないと一緒に遊びながら、若者とかかわっていけない。
いわゆる学校の教育システムになんとなく適応できなかった子たち、その人たちのためのサードスペースをいろんな形でデザインしているという見方もできるかもしれませんね。
こういう「職能」とはいいがたい世界観が担保されていたところに、国の仕様が入ってくると遊びの領域が減らされてしまう。結果として、カウンセリングやワークショップ、インターンシップばかりになっちゃうんですね。しょうがない面があるとしても…「遊び」が価値になる若者がいるんです、全員じゃないとしても。そのとき、僕たちは何かを体現しないといけないわけです。
人間の弱さに寛容でありたい
20年前の若者支援はいま以上に人間臭かった、関係性がいい加減でした。いい加減に。酔っぱらって先に寝るのがスタッフ、道具を片付けているのが若者たちだったりして。
今の僕自身で言うとそういう“遊び”を許容するのがむずかしくなっている面もあって……。全体の能力が上がり、専門性を有する人から見たときに“テキトー”というのは許せなくなることがある。
ただし、僕はそういう良さが残っている団体が僕は好きですね。スタッフも、いい加減なところや、ムキになってゲームを止めないとか。。そうなると、逆に安心して若者が頑張っちゃたりね。そんな人間の弱いところ、ダメなところを許容できる組織でありたいという気持ちが僕にはずっとあります。
弱さをさらけ出せる組織
近年、組織開発の分野でも「弱さをさらけ出せる組織」はより高い成果を実現するということがわかりつつある。心理的安全性が自発的な創発や工夫を促すというのだ。支援や援助という文脈で「弱さ」を無意識に排除されてしまっていることは少なくない。
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